みどころ

自然や花鳥、動物を生き生きと写し取った斬新な応挙の画風は、たちまち京都で評判となった。63歳の生涯を閉じたときには、息子の応瑞をはじめとして源琦、山口素絢、渡辺南岳ら多くの門弟たちが育っていた。奇想の画家と称せられる長沢芦雪もそのひとりである。また、与謝蕪村の高弟だった呉春も晩年の応挙に弟子入りを乞うが、応挙は親友として迎え入れたと伝えられる。呉春は南画と写生画とを融合した画風で四条派と呼ばれるようになり、円山派と四条派はその後の京都画壇の中心を成していった。そして派生的に生まれた原派、岸派、森派、鈴木派など多くの画系が複雑に絡みながら近代の京都画壇へと引き継がれていった。

重要
文化財

円山応挙「写生図巻(甲巻)」(部分)

明和8年~安永元年(1771-72)株式会社 千總蔵

  • 東京展:後期展示
  • 京都展:後期展示
重要
文化財

円山応挙「写生図巻(乙巻)」(部分)

明和7年~安永元年(1770-72)株式会社 千總蔵

  • 東京展:前期展示
  • 京都展:前期展示
重要
文化財

呉春「四季耕作図」

寛政7年(1795)兵庫・大乗寺蔵

  • 東京展のみ:通期展示

応挙の登場までは、絵画の基本はやまと絵か中国画だった。そこでは、自然を描くといっても、現実とは違った名所絵の世界か、見たこともない山水世界が描かれてきた。応挙は、まず実際の場所を好んで描き、さらにその場に立って観た時の臨場感までをも写し出そうと試みた。保津川や嵐山などの画題は、その後、円山・四条派の系譜で繰り返し取り上げられている。また、遠近法を踏まえて見えた通りに描こうとする表現方法は山水画というよりも風景画に通じる側面があり、円山・四条派の作風はより自然なかたちで近代絵画へと変化していった。

重要
文化財

円山応挙「保津川図」

寛政7年(1795)株式会社 千總蔵

  • 東京展:後期展示
  • 京都展:後期展示

菊池芳文「小雨ふる吉野」

大正3年(1914)東京国立近代美術館蔵

  • 京都展のみ:前期展示

応挙が美人画にも新生面を拓いたことは意外に知られていない。唐美人と呼ばれる中国の貴婦人を描く伝統を踏まえたものだが、狩野派や南画系の画家たちとは一線を画した温和で品格ある女性表現を生み出した。また、古くから画題としてきた仙人や、物語の登場人物を描く人物画はその後の円山・四条派でも盛んに描かれている。近代になるとジャンルとしての人物画の評価が高まるが、東京画壇で歴史画が隆盛したのに対して京都画壇では自然や動物が根強い人気を保った。その中で、上村松園が近代美人画の世界を確立した意義は大きいが、それは応挙の美人画に端を発する長い伝統に位置づけられるものだった。

重要
美術品

円山応挙「江口君図」

寛政6年(1794)
静嘉堂文庫美術館蔵

  • 東京展のみ:前期展示

上村松園「楚蓮香之図」

大正13年頃(c.1924)
京都国立近代美術館蔵

  • 東京展:後期展示
  • 京都展:後期展示

呉春「山中採薬図」

公益財団法人阪急文化財団
逸翁美術館蔵

  • 東京展:前期展示
  • 京都展:後期展示

鳳凰や龍といった架空の 動物よりも、孔雀や鶴、虎、犬、猿、鹿など生きた鳥や動物たちをよく観察して描こうとした応挙。鳥の羽根の一枚、動物の毛の一本までも写し取ろうとしたその作画態度は弟子たちに引き継がれ、猿を得意とする森派、虎を得意とする岸派などが人気を博した。いずれも、生き生きとした動きのある姿に描こうとする「写生」に徹したところに特徴があり、その伝統は近代になっても京都画壇の重要な特性として受け継がれていった。近代画家たちは応挙以来の写生に西洋的な写実画法を加味して新たな表現を生み出したが、竹内栖鳳はさらに簡素で洒脱なスタイルを確立し一世を風靡した。

重要
文化財

円山応挙「牡丹孔雀図」

明和8年(1771)
京都・相国寺蔵

  • 京都展のみ:後期展示

岸竹堂「猛虎図」(右隻)

明治23年(1890)
株式会社 千總蔵

  • 東京展:前期展示
  • 京都展:後期展示

長沢芦雪「薔薇蝶狗子図」

寛政後期頃(c.1794 –99) 
愛知県美術館蔵(木村定三コレクション)

  • 東京展:前期展示
  • 京都展:後期展示

円山応挙「狗子図」

安永7年(1778)
敦賀市立博物館蔵

  • 東京展:後期展示
  • 京都展:前期展示

竹内栖鳳「春暖」

昭和5年(1930)
愛知県美術館蔵(木村定三コレクション)

  • 東京展:前期展示
  • 京都展:後期展示